2015年

4月

02日

個性の尊重

他人の個性を尊重する、という言葉は、その通りだと思います。

この言葉、人の性格に口を出さ「ない」、能力に口を出さ「ない」、という(消極的な)ニュアンスがあるかもしれません。

しかし、もっと積極的にとらえたいものです。他人の性格、能力を認めるべき、もっといえば、他人の目的、輝き方の多様性を認めるべきと考えます。異なる輝きが、同じ方向に向けて光を放っている集団は、きっと素晴らしいパフォーマンスを見せます。そして何より、そのような集団の中にいる人たちは幸せに違いないです。


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2015年

3月

04日

修復的司法

事件があると、刑事・民事とわず、

当事者を制裁すべきかどうか、

という観点から議論がなされてきたように思えます。


ただ、今回、川崎で重大事件が起き、

マスコミでも

「被害者の親にもなりうるし、加害者の親にもなりうる」

「どうしたら防げるのだろう」

といった前向きな観点でも、議論がなされているように思えます。


制裁も、きわめて重要ですが、

修復的・生産的な方向の議論も重要です。


修復的司法とは、刑事分野で使われる言葉ですが、

当事務所にご依頼をして下さる方には、

今後の人生につながる事件解決をご提供したい

と心がけております。

2015年

2月

08日

 思想・良心・取材など

 シリア・イラクの人質事件をきっかけに、戦場カメラマンの方々の活動が議論を起こしています。取材などの目的で、自ら危険な地域に行くことの評価、あるいは危険な地域に行かせないことの是非、が問題になっています。


 まっさらな私の感想からすると、分かっていて行くのだからしょうがない、軽率だったと思う部分もあります。行かなくても生活に困らない、行けば命をとられるかもしれない、自己実現なんて我慢すればそれで済む、それが大人、と思う人は少なくないかもしれません。現在の日本の最高裁判所も(建前は別として)、そのように考える傾向があると思います。


 先日、大河ドラマで、吉田松陰の姿が演じられていました。禁じられて、処罰されても処罰されても、見聞を広めようとして、また処罰される吉田松陰。死刑になってしまいますが、彼の見聞とそれに基づく教育は、日本を救います。戦場カメラマンの方々にも、同じような人がいるかもしれません。彼らの持ち帰る映像は、世界を助けるかもしれません。

 彼らの考え、使命感は、彼らにとって、自分の命よりも重要なのだと思います。そのような考えを他人がどうこうすべきかどうか、分かりません。


 憲法理論では、思想・良心・宗教、表現などの自由は、精神的自由とされ、他の自由よりも尊重すべきだとされています。自分の命よりも大切なもの、何かを自分の命より大切と思うことを、安易に思い込みと規制することには、慎重にならなければいけないと思いました。


2014年

12月

25日

言い分を聞く

 今年は、サッカーワールドカップがありました。

 開幕戦の主審には日本人の西村雄一さんが選ばれましたが、誤審が問題になりました。

 サッカーは、攻撃の選手が、相手のゴール前で、守備の選手に引っ張られて倒されれば、決定的チャンスを得ますが、これを狙って攻撃の選手がわざと倒れたとされると、逆にピンチになります。このようなルールがあります。

 西村主審は、攻撃の選手が引っ張られて倒されたと判断し、攻撃側に決定的チャンスを与えました。しかし、テレビを見ていると、攻撃の選手は引っ張られてはいても、わざと倒れたように見えました。多くの人もこのように感じたようです。


 しかし、テレビで西村さんの言い分を聞くと、かんたんに考えが変わりました。サッカーには、守備の選手が攻撃の選手を後ろから抱え込む形で、決定的なシュートを妨害したら、守備の選手のファウルになり、攻撃側に決定的チャンスが与えられるそうです。このようなルールがあるそうです。そのようなルールがあるならば、西村さんの言い分は正しいように感じます。


 私の中で、西村主審は間違えたな、と思っていたのが、簡単に覆りました。やはり、双方の言い分は聞かなければならないですね。


 このような意味で、刑事裁判、民事裁判は、重要な制度だと実感します。

2014年

11月

22日

ある離婚事件で

何年も前のこと、ある離婚調停事件に関わりました。


男性が不倫をしてしまい、女性が離婚を求めた事件です。

男性が何度も不倫をしてしまい、

女性は、もう耐えられないと感じ、調停を申し立てました。


(調停では、当日、当事者双方は、ともに裁判所に出頭します。

しかし、通常、顔を合わせることはせず、

裁判所の調停委員を通じてコミュニケーションをとることになります。)


男性は強気に離婚を拒み、

女性も譲らず、離婚を求めていました。

やがて、男性は離婚を認めました。

女性は、調停委員から「相手が離婚を認めた」という話を聞いたとたん、

たくさんの涙を流しました。

ただ、姿勢は凛としていたことを忘れることができません。


その涙の意味するものは、寂しさかもしれませんし、

終わったという安心感かもしれません。

両方かもしれませんし、他の理由もあるかもしれません。

自分が引き取る子供のことなども考えたのかもしれません。

他者がうかがい知ることなどできませんし、

もしかしたら、ご本人も分らないかもしれません。

彼女が離婚で幸せになるのか、誰も分りません。


私が今後できるのは、よく当事者の話を聞いて、

依頼者の意思を尊重しつつ、

長い目で見た依頼者、家族の幸せにかなうよう、

ご助力させていただくことです。


後日、とある施設で、遠くから、この女性を見かけました。

はしゃいで走り回る子供に追いついた姿でした。

やさしげな女性の表情は、目にやきついています。









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